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エリアーヌ・ラディーグはフランスの電子音楽の先駆者として知られる偉大な音楽家である。 仏国内の若手ミュージシャンのなかにも、彼女の曲を聴きシンセサイザー作曲をすると決めた、というような崇拝者は多い。

今年で86歳、演奏者としてステージに立つことはもうないが、代理奏者に託されたコンサートや、ドキュメンタリー映画の上映、リスニングセッションを含むシンポジウムなど、電子音楽イベントでは彼女の名前を絶え間なく見かける。

そして今秋にはフランスのINA-GRMから彼女の電子音楽名作を収めたCD14枚組セットがリリースされた。タイトルは直訳して『電子作品集(Œuvres Électroniques )』だ。日本への初回入荷分はすでに完売で、再入荷待ちの状況である。

音楽に浸った人生

エリアーヌは1932年にパリで生まれ、幼少期にはすでに音楽への情熱を覚えていたという。ピアノとハープを習い、10代は暇さえあればクラシックコンサートへ通っていた。そして、50年代初期のある日ラジオで、ピエール・シェフェールの電子音楽のジャンルの一つであるミュージックコンクリートにあたる作品を耳にし、衝撃を受けた。その後、偶然にもその作者そしてピエール・アンリのアシスタントとして働くチャンスを得て、電子音楽を基礎からすべて学ぶこととなった。

それから、若くして得た子供たちの世話も一段落し、離婚をも経た後、60年代後半から彼女独自の電子音楽作曲を始めた。そしてその後約30年間、 片割れとも呼ぶべきシンセサイザーARP2500を使いひたすら作曲に没頭したのである。この長く孤独な制作時代に作られた多くの名作が、今年リリースの『電子作品集(Œuvres Électroniques )』に収められている。

その多くの名作とはどのような曲なのだろう。彼女の音楽はドローンというジャンルに位置づけられる。ドローンとは簡略に言うと、変化のない持続音、またはそれを主とし作られた音楽を示す。彼女は電子音楽界の巨星二人のもとで学んだが、その後はテープループやマイクロフォンフィードバックを駆使し、彼ら二人のものとは全く違った彼女独特のクリエーションを構築していった。長い長い継続音がいくつも重なり合い、耳で感知できるか否かという程の細密な変化が繰り広げられてゆく。例えば、以下の動画で聞けるようなもの。

ドローン音楽は、聞き慣れないリスナーにとってはときに「音楽」として認識することさえも難しい。この動画から聞けるような曲を家で大音量でかけたとしても、隣人たちは電気回線がおかしいとか、大きな洗濯機が回っていると思うだけではないだろうか。

そこで彼女の音楽を語る際によく言われる「アクティブリスニング」という言葉。その意味について考えてみたい。一般的にはカウンセリングなどの言語コミュニケーションについて使われる表現だが、なぜ音楽において用いられるのだろう。

飛行機の音

エリアーヌはアシスタント時代にはパリではなくニースで空港の近くに住んでいた 。飛行機で通っていたのだ。当時の飛行機は今よりも静かで、敏感な耳を持つエリアーヌは音だけで機種を区別できたらしい。空港の騒音も彼女にとって素材の宝庫だった。それらを毎日真のシンフォニーのように聴いていたと言う 。私たちはそんな日常の音から耳という自然のフィルターを通して素晴らしい音楽を創造することができるのだ。

世の中にはメロディーや和音やリズムなど美しいものがすべてそこに揃い、聴き手はただそれを受領すればよいという音楽が山程ある。そこから受ける感銘というものはもちろん素晴らしい。しかし、ドローン音楽やエリアーヌの曲の美しさを話すときは少し事情が変わってくる。

飛行機の騒音に音楽性を見出すような聞き手側の能力。それはなにかを私たちが受け取るだけではなく積極的に参加していくような姿勢だ。エリアーヌの音楽はそれを受け入れてくれる。空間的にも時間的にも音楽が与えるだけではなくその内側と外側でなにかが共に作られる、まるで鏡のような関係だ。

Eliane Radigue © electronicbeats.net

彼女の音楽は私たちの奥底に眠った静穏を呼び覚ますとも言われている。意識的であれ無意識であれアクティブリスニングにより彼女の世界に入ってしまえば、あとは瞑想のような感覚。通常50分以上続く曲の最後にはカタルシスへと辿り着く。

奏者たちとのインタラクション

© Olivier Ouadah

しかし今日彼女はもう電子音楽制作はしていない。2004年からアコースティック楽器のための作曲へと完全移行したのだ。近年この転換以降の作品はクラシック楽器演奏者によってフランスを主にヨーロッパ・北米で頻繁に公演されている。彼女は演奏や指揮をすることはなく観客席に座っての参加だ。

例としては、上の写真に見られる27人の奏者が構成するオーケストラl’Onceim (ロンセム)。 そしてNaldjorlak(2005-2009年作)を演奏するバセットホルン奏者二人Carol Robinson(キャロル・ロバンソン) 、Bruno Martinez(ブルノ・マーティネ)、とチェロ奏者Charles Curtis(チャールズ・カーティス)によるトリオ、など。

きっかけは2000年以降にPhil Niblock(フィル・ニブロック)やチャールズ・カーティスに彼らの楽器への作曲を頼まれたこと。それらの制作を通し、30年間機械と向き合い黙々と作曲してきた彼女だが、今では奏者たちとの密接な言葉のやり取りとリハーサルにより各作品を仕上げていくようになった。上記トリオとともにNaldjorlakを完成させたときには、彼女ははじめて完全に音楽家になれたと感じたという。電子音楽時代から常に探し求めてきたなにかに辿り着けたのだと。私たちの内側と音との融合というようなものに。

では実際彼女のアコースティック音楽作品とは私たちの耳にはどう聞こえるのだろう。理想的にはやはりコンサートに出向いて体験したいこと。例えば、今年4月19日にはパリ郊外で Naldjorlakのコンサートが行われた。それは総合2時間以上もかけ、ソロ・デュオ・トリオと緩やかに展開された 。

この体験に近いものを聞ける音源がこちら。

エリアーヌのアコースティックコンサートを聴いていると、「チェロ」、「クラリネット」などという各楽器に定着したイメージは頭のなかから消え去ってしまう。3つの個体がそれぞれ「演奏」という行為を務めていることさえも忘れ、私たちが聴くのはまさに「音」そのものだった。 目を閉じればシンセサイザーから発される電子音だとも容易に信じられる、抽象的且つオーガニックな音である。電子音楽時代の大ファンにはこの転換により彼女らしさが失われることを恐れた人も多いだろうが、それは絶えず健在している。

蜘蛛と奏でるコンサート

近日では12月14日に パリのPalais de Tokyo(パレ・ド・トーキョー)でTomás Saraceno(トマス・サラセーノ: アルゼンチン出身、ベルリン在住のアーティスト) の 『On air 』という 展覧会内でOccam Oceanが演奏される予定だ。『On air 』とは人間と人間以外の生物、そして大気を含むエコシステムすべての繋がりを図ろうというテーマの巨大な展覧会で、当美術館全体を使い開催されている。第一室目は下の写真にも見られるような、数十個もの蜘蛛の巣が暗闇の中で展示されたインスタレーションだ。室内にはセンサーで空気の流れを読み取り電子音楽へと書き換えるソフトウェアを用いて作られた音楽も静かに流れている。そこで、蜘蛛は人間よりもずっと「振動」に敏感だということから、トマス・サラセーノは『Jamming with spiders』という名のコンサートシリーズを企画し、14日はその最終日だ。エリアーヌは蜘蛛が特に敏感であるという低周波音を主に含むOccam Oceanを選んだという。サイトスペシフィックアートや実体験型作品の多いパレ・ド・トーキョー。ミュージシャンと聴者、そして蜘蛛たちが相互にハーモニゼーションし合うという、まさにアクティブリスニングを促すようなイベントだ。

© Sayori Izawa (Gratte Production)

高齢だということもあり、エリアーヌが日本まで渡航し公演という予定は立っていない。しかし、通勤時にでも電車の音に耳を傾けながらこの話を思い出してもらえればうれしい。

 

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