画像:2000年作. As I Was Moving Ahead Occasionally I Saw Brief Glimpses of Beautyより © Canyon Cinema.

アメリカ前衛映画界のゴッドファーザーとも呼ばれていたというジョナス・メカスが今年1月23日に96歳で惜しくも他界した。彼は私たちの映画の歴史にどんな影響を与えたのだろう。

家族や友人、花、猫、卵焼き...

まずは早速実際にある作品の抜粋をご覧いただき、そこから話を進めていきたい。下のYoutubeから見られるのは2000年作の『As I Was Moving Ahead Occasionally I Saw Brief Glimpses of Beauty』の一部だ。

すぐ最初に見られるカメラ目線のハンチング帽を被った男性はジョナス自身であり、家族のバカンスや日常生活を撮影したものだ。特になにか大イベントが起きるわけでもなく、時代背景の描写があるわけでもなく、ただただ小さな日常的な瞬間が積み重なっていることは、この短い抜粋からでもなんとなく感じ取っていただけるのではないだろうか。幼い娘、池の水面、揺れる花、卵焼きを食べる、など私たち誰もが毎日過ごしているような「時の欠片」の集結だ。

この作品はなんと、彼が家庭を中心に私生活を30年程も撮り貯めた映像をもとに編集した5時間にも渡る最長編の映画なのだ。彼の半人生のまとめともいえる。そして、映像にはジョナス本人の声のナレーションと映像の間の文字によるテキストが加えられている。これらも彼がよく用いる手法のひとつだ。

そしてよく見てみると映像は、ガタガタと不安定であったり、ピントがあっていないときもあれば、明瞭度を調整中の映像がそのまま使われていたり、というように当時の商業映画の基準からは失敗やタブーとしか見做されないような映像がふんだんに使われている。時間のスピードも速くなったり遅くなったりとばらばらだ。今でこそ私たちはそれらの作る美しさに感銘を受けられるものの、彼が映画を作り始めた50年代からその価値が認められるまでに時間のかかったことは容易に想像が出来る。

映画を撮るから生きている、生きているから映画を撮る

ジョナスは、1922年にリトアニアの農家の家庭に生まれた。ソヴィエトとナチスの狭間にあった祖国を離れて、1949年には弟のアドルファスと共に難民としてアメリカに渡った。ブルックリンに落ち着いた彼は到着2週間後に既にBolex(ボレックス)の16ミリカメラを購入している。そしてそれから何十年もそのカメラを手放すことなく日常を撮り続けたのだ。日記映画の始まりであった。

彼は6歳のときには、ポエムの形で日記を毎日綴り、父親に読んで聞かせていたらしい。幼いころから何かを記録し続けていくことをせずにはいられなかったようだ。そしてその手段は渡米後ボレックスへ、2007年にはビデオカメラへと移っていった。

Bolex(ボレックス)カメラを手に取る若き日のジョナス photo from www.numero.com

また、後年出版されたジョナスの日記 『Movie journal』(『ジョナスの映画日記』)の中には、彼がアメリカ生活の初期に感じた憂鬱と落ち込みについてよく書かれている。当時の彼にとって、その見知らぬ土地、理解のし難い社会で過ごす日々を「日常」と呼ぶことは困難であった。カメラを通して撮ることで、それらはやっと経験として、記憶として自身に浸透されていったのだという。

彼の映画制作の核であった「日常を撮る」という行為だが、当時の彼は逆説的にも「撮る」ことにより日常を生み出していたようだ。それは将来彼が『Walden 』の中で発するコメントにも共鳴している:「映画を撮るから生きている、生きているから映画を撮る」

私はアーティストではない、ただ「撮って」いるだけ

“Walden”に使われたフィルム : PHotos 上 from www.lacinetek.com, 下 from www.numero.com

2012年にフランス、パリで開催されたレトロスペクティブの際のインタビューで彼は次のように語っている。

「私はアートを創っているとは思っていない。ただ、何かをしているだけ。するべきことをしているという感じかな。映画監督と呼ばれるのもあまりしっくりこないし、どちらかと言えば人類学者に近いと思う。しかし、それぞれの国の社会情勢や悲劇なんかを伝えるのは他のアーティストにまかせればいいと思っている。私の興味があるものは 、世界のどこででも見られるような、何てことのない普通の情景。その雰囲気や感覚。 私が挑戦していることは、そこから私たちの真のエッセンスを摑むこと。そして、それらの情景というのは本当に儚くすべてみんな一瞬にして消えてしまう。花びらの色も、雨の雫も、それらを残す唯一の方法はカメラで撮るということだと思っている。そうすればそれらの姿は映画の中に残る。」

そして、彼はその極日常的な映像の素材に対して前もって何を撮るか、どう撮るかなどと思考することはないと言っている。そのいつも傍らにあったカメラで、撮るべきと感じた時に撮る。それはあるときはたったの数十秒であり、またあるときは1時間も続く。いつ撮るか、どのように撮るかはすべて目の前にある素材自体が彼に教えてくれたとのこと。その直感的な手法は、シナリオを書き大きな撮影チームを率いて制作していく一般的にいう「映画監督」のものとは根本的に違うものであった。

フィルムを使うボレックスは録画を止めたいときに止めまた再スタートすることや、明瞭度などもその度調整することができ、撮影しながらダイレクトに編集をしていくことが可能であった。彼はその手法を長年をかけて熟練させていった。このカメラという道具との関係はとても彼の性に合っていたため、幼いときのポエムに代わって長年に渡る彼の表現方法として定着した。

そして彼の編集により作品には独特のリズムが生まれている。彼が捉えたエッセンスに基づく、現実には囚われないリズムの再構築。魂から奏でられ、より音楽的に流れていく世界。

NYのアーティスト界に不可欠な存在に

「音楽的」と話に出たところで、次にまた別の作品の抜粋をご紹介したい。一つ目のようなナレーションはなくメッセージ性は強くないが、より感覚的に楽しめるシーンだ。

The Velvet Undergroundの音楽に乗り、パーティーから子供のいる家庭、車道やスケート場へと、ジョナスの集めた時の破片たちが川のように流れていく。

これは1969年作の『Walden – Diaries, notes and sketches』(ウォールデン- 日記とメモとスケッチ)という作品のワンシーンである。当作も3時間という長編で、1964年から68年の間に撮られた映像から作られ、その間に制作された幾つかの短編映画も組み込まれている。ここで見られるのは1965年に結成されたバンドThe Velvet Undergroundの極初期のコンサートの映像だ。その貴重な瞬間の記憶がこのシーンに封じ込められているのだ。

The Velvet Undergroundのメンバーはジョナスの広く深い人脈の一部であった。彼はニューヨークに暮らし始めてすぐにもアーティストたちと交流し始め、それは深く刺激し合う関係へと発展していった。彼にとってはごく自然な必要性からであった。友人のなかにはオノ・ヨーコ、ジョン・レノン、アンディ・ウォーホルなどがおり、彼らを映像に収めることも必然のことであった。『Walden』にはそれら友人の映像が集められ、エスノグラフィー的な視点で見ても歴史上の最高傑作となっている。

また、 ジョナス・メカスは日本では主に映画作家として知られているが、アメリカの映画界では批評家やオーガナイザーとしても尊敬されていた。The Village Voiceという週刊誌での前衛映画批評のコラム連載や、前衛映画の収集と上映を行うAnthology Film Archivesの設立をしたのも彼であったからだ。これらのジョナスの熱い活動がなければ、今日のアメリカのインディペンデント映画は存在しなかったともよく言われる。

インスタグラムの先駆者だった?

デジタルビデオに切り替えた後の晩年のジョナスは、映画館での上映を目的とする作品よりも、スマートフォンも使い彼のサイトやソーシャルネットワークへの投稿という形を中心に活動を続けていった。『365 day Project』というプロジェクトでは、毎日一本ずつ短いビデオを作りウェブページにアップしていたそうだ。このような晩年の活動をみても、若き頃からのボレックスの撮影にしても、彼は人生の大半を2日に一度は必ず「撮って」いたという。儚い瞬間を捉えようという意欲は一生果てることがなかった。

ところでこのような彼の姿勢は、毎日のように写真やビデオを撮りインスタグラムにアップしていく今日の私たちのものにどこか似てはいないだろうか。私たちの「記録をし、共有したい」という気持ち。今見たものをインスタグラムで共有し反応を得ること。それがある意味生活の中の欠かせない一部分となってしまっている私たちの気持ちを、ジョナスは既に前世紀に知っていたのかもしれない。

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It’s with enormous sadness and a great sense of loss that we share the news of the passing of Anthology’s founder, Jonas Mekas. He died peacefully at home, with family at his side. Jonas was the guiding force here at Anthology from its founding through to the present day, and even as he reached the age of 96 the idea that he might not be here in person to continue to inspire us has been inconceivable. But Jonas was nothing if not forward thinking, large spirited, and devoted in every fiber of his being to celebrating what is most vibrant in life and culture. His work as a filmmaker, artist, writer, and archivist (among many other roles) was animated precisely by a powerful, paradoxical balance between a preoccupation with the past and an inexhaustible openness to new ideas, forms, and experiences. What better model for confronting the fact of his passing, for balancing sorrow at his death with a celebration of the vitality of his legacy? His absence will be difficult to accept, but his spirit will continue to suffuse Anthology, New York City, and avant-garde culture around the world.

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今日、人々のソーシャルネットワークへの執着や、誰でもネット上では容易にアーティストになれてしまう時代がゆえのアート自体の本質の衰退を懸念する声も多い世の中であるが、ジョナスのことを思い出すとこのような変化も肯定的に見直すことができそうだ。

また日本でも彼への追悼の意を込め、3月に東京と京都の各箇所で映画2作品の上映と写真展が実施されることが決まった。近くにお住まいの方はぜひ足を運んでみてはいかがだろうか。詳細は以下からどうぞ。

【Infomation】

肌蹴る光線―あたらしい映画―vol.4

東京会場
2019年3月10日(日)16:30~東京都 UPLINK渋谷
<上映作品>
「Sleepless Nights Stories」
「幸せな人生からの拾遺集」

京都会場
2019年3月3日(日)19:00~ 京都府 誠光社
<上映作品>
「幸せな人生からの拾遺集」

2019年3月30日(日)19:00~ 京都府 誠光社
<上映作品>
「Sleepless Nights Stories」

写真展「Frozen Film Frames」

東京会場
2019年2月27日(水)~3月16日(土)東京都 スタジオ35分

京都会場
2019年3月1日(金)~15日(金)京都府 誠光社

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