2月上旬、夜の渋谷スクランブル交差点に”人々が海を眺める映像”が流された。それはフランス人芸術家、Sophie Calle(ソフィ・カル)の「Voir la mer(海を見る)」という作品だ。彼女の生み出す作品はどれも人間の心の奥に一歩、また一歩と踏み込んでいくようなものばかり。人々はどのようにして彼女に心を開き、そして彼女はどのようにしてそれを芸術へと落とし込むのだろうか。

ソフィ・カルという女性

https://blog.artsper.com/en/a-closer-look/10-things-know-sophie-calle/

ソフィ・カルは1953年パリに生まれ、写真と言葉を組み合わせて次々と斬新な作品を作り上げてきた。彼女はこれまでに、初めて海を見た者を写した「Voir la mer(海を見る)」や、亡くなった自身の家族に焦点を当てた「Ma mère, mon chat, mon père, dans cet ordre(母、猫、父、この順に)」、更には生まれつき目が見えない人々に美のイメージを問いかけた「Les Aveugles(盲目の人々)」、自らの失恋を他人と共有し、失恋までのカウントダウンを写真と合わせてするとともに、自分の失恋の傷が癒えていくまでを残した「限局性激痛」など、我々の想像を超える、斬新でタブーとも取られるような作品を数多く生み出してきた。

海を見る

https://macm.org/en/activities/sophie-calle/

「海を見る」ではイスタンブールの内陸部に住み、貧困故に人生で一度も海を見たことがない人々が生まれて初めて海を見る様子を撮影した。

そこでは、人々の背中にカメラを向け、出演者が自分の好きなタイミングで振り返ったところまでを収めた。海と人物との間にカメラを置き、全ての表情や反応を収めることもできたが、それではカメラが深く入りすぎると考え、あくまで後ろから撮る手法にしたという。そこにはじっと海を見つめ、振り返った時には涙を流す者の姿も収められていた。

盲目の人々

https://www.carreartmusee.com/en/collection/highlights/la-derniere-image-25

この作品では13人の後天性の盲目の人々に、「視力を失う前、最後に見たもの」を尋ねた。そしてその本人の写真と合わせて、インタビューで聞いた彼らが最後に見た光景を写真に収め、一つの作品とした。

限局性激痛

https://www.cinra.net/news/20181229-sophiecalle

1984年に奨学金をもらって日本へ留学することを決めたソフィ・カル。反対する最愛の恋人とは3ヶ月間の遠距離となった。そして出発したその日から、彼女の失恋へのカウントダウンが始まった。彼女はこの経験と、失恋から立ち直っていく過程をそのまま作品にした。その方法をこのように語った。

フランスに帰国後、彼女はこの人生最大の苦しみから解放されるために、いろいろな人にこの経験を語り、それと引き換えに相手に対して「あなたにとって最も苦痛だった瞬間のことを話してほしい」とインタビューをしたのです。

「ほとんどの相手は私の友人や知り合いではなく、カフェで一人で泣いていた時にハンカチを手に声をかけてくれたギャルソンなど、初めて会う人たちでした。『こういうことが起こったんです』と失恋の話をしたわけですが、最初のうち私の話はとても長く、複雑で入り組んでいました。しかしそれを60回も繰り返すと、感情的に話していたストーリーも話し慣れ、私の口から機械的に語られるようになったのです。やがて失恋の悲劇からも距離が生まれ、日に日に私の状態は良くなり、自分が苦痛を感じ続けるのもおかしいと思えるようになってきました」

「この時の体験を作品化するために、どのような素材や技法を使うかを見極めるまでには時間がかかりました。自分の苦しかった体験を人に語り、それを続けることで癒されていったというプロセスを表現するために、刺繍という方法を思いついたのです。最初はグレーの布に白い糸でストーリーを縫っていき、途中からグレーの背景にグレーの糸で刺繍をして溶け込むように見せることで、多くの人に話すうちにストーリーが簡潔になり、苦しみが消えていった様子が表現できると考えました」(Penより)

母の死は誰にでも起こる平凡な事

https://www.widewalls.ch/sophie-calle-artist-of-the-week-october/photography-stalker/

ソフィ・カルは、他者の心に深く入り込む自身の作品について過去のインタビューでこのように答えている。

――本来なら見えない人の心や秘密などに興味があるのでしょうか?

これは私の作品の核となる部分でもありますが、私はブログも書いていませんしFacebookもやっていません。つまり、私は人生を開けっぴろげにしていないんです。テキストとイメージで作品を構成しており、ときには私自身の生活を作品にしますが、本当の私の生活は秘密なんですね。例えば失恋や母の死などは、誰にでも起こりうる平凡なことなのです。それは秘密ではありません。(美術手帖より)

SNSはセクシーさが足りないとし、普段は全く自分の私生活を表に出すことはないという。だが作品の中では、自分の身に起きた出来事を包み隠さず見せているように感じる。しかしそれは彼女にとっては何て事もなく、平凡なことだと言い切って見せた。出演者の心の内側に入り込み、それでも本当の芯へは触れない。あくまで一定の距離を保つことでこれまでのような一見「これってアリなの?」と思わせるような作品を世に出すことができたのかもしれない。自分や他人の感情、考え、記憶を芸術へと具現化させる。それは彼女だからこそできた事なのではないだろうか。