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伊藤郁女(いとうかおり)というフランス在住のダンサーをご存知だろうか。今やフランスのダンス界では重要な存在となった彼女は、若くして日本を飛び出し大成功を得たアーティストのうちの一人だ。祖国と欧州の間で生きるダンサーの人生や、そこから生まれるクリエーションとはどのようなものなのだろう。そんな疑問のヒントとなるような10項目をまとめてみた。

1. 家族全員アーティストの一家に生まれた

伊藤郁女は両親が彫刻家、弟もアーティストという家庭に生まれ育った。家族のメンバー個々が自由に自分を表現しようとする環境で育ったせいか、子供時代には既に日本は窮屈でなにかが違うと感じていたらしい。ダンスを始めたきっかけはと言うと、赤ん坊の頃母親に抱きかかえられていた郁女は、彼女がかなり痛がる程に膝を蹴り跳ばす力があったのだそうだ。そして、こんなに足腰が強いならダンスに向いているだろうとバレエ学校に入れることにしたのだとか。

Aurélien Bory作の『Plexus 』を上演中の伊藤郁女 photo from lemonde.fr

2. 最初の渡欧は16歳

5歳からクラシックバレエを始め、熱心にレッスンを続けた郁女は、16歳には本場でのレベルアップと語学研修をかねロンドンへと初めての留学をしている。数多くのバレエコンクールで賞を取るなど順調なスタートを切っていた。しかし、海外滞在中にバレエ界での人種差別を目の当たりにしてしまったり、無理に白人のように踊ろうとする東洋人の姿には納得がいかず、同じ頃には日本の現代舞踊への関心が高まっていた。そこで、コンテンポラリーダンスへと完全に方向転換をしたのだった。19歳からは東京とニューヨークの間の行き来しながらダンスを学び続け、国内でいくつもの賞をとり有名になり始めていたが、ヨーロッパの振付家たちと仕事をするチャンスを掴んだ2003年からはフランスに定住した。

3.ポルノショップでもバイトしていた

東京でダンスを学んでいた時代に数々のアルバイトも掛け持ちしていた郁女は、ポルノショップでも働いていたそうだ。その影響もあってか、後のアメリカを含めた海外生活13年目となる2013年には、フランスでタイトルに日本語を用いた『Asobi-jeux d’adultes(アソビ ー 大人の戯れ)』という作品を発表している。『Asobi』とは「覗き」などのテーマを通してエロティズムを表現した作品だ。「隠すこと」を美しいとする日本文化や、世界でもその独創性が有名な日本のアダルトビデオなどからアイディアを得ているらしい。以下の写真は『Asobi』を上演中の郁女だ。

image from lemonde.fr

4.成功のためのプロモーションはやり尽くしていた

郁女は一緒に仕事をしたい振付家がいればその意思を直接伝えに会いに行くなど、自らを売り込んでいくことにも最大限の力を発揮できる人物であった。キャリアの初まりであったPhilippe Decoufléの『IRIS』の公演で世界を廻りながら、毎日のようにオーディションを受け、関係者一人一人に自分のダンスのビデオを手渡すなど努力を怠らなかった。特に学生時代に入手した、前田允著の『ヌーヴェルダンス横断』という欧州のダンスアーティストたちを紹介する文書で気になる振付家をチェックし、彼ら全員と仕事をするという目標を置いてコンタクトを取っていったそうだ。今ではほぼ100%目標達成したという。

5.多くの振付家との経験を積んだ後、自己のダンスカンパニー創立へ

彼女はフランスで暮らしながら、Angelin Preljocaj, James Thierrée, Alain Platelなど名高い振付家たちと仕事をしていった。今日では彼らの最も気に入るダンサーは郁女である。Aurélien Boryの『Plexus 』は彼女だけのために書かれた逸作だ。しかし初期は、『郁女』自身ではなく単にアジアの女性が求められている場合も多く、振付家たちの描く東洋女性のイメージを押し付けられることにうんざりしていたそうだ。独自性の強いアーティストは自分自身であるために、2015年にカンパニー『Himé(ヒメ)』を創立し、自作を本格的に手掛け始めた。そしてその才能はさらに花開いていったようだ。

6.実の父とも共演、私生活に結びついた三部作

伊藤郁女は日本人らしいとも言うべく控えめさや神秘性と、はっとさせるような強い感情を作品に導入する大胆さという相反する二面を持つアーティストである。それは彼女の成功の鍵だったのかもしれない。『Himé』を創立した2015年からは「親密の三部作」と呼ばれる三作を連続して発表し、フランスのダンス界を揺るがした。

三部作は、遠く離れて暮らすうちに希薄になってしまった実父との関係を建て直すという”Je dance parce que je me méfie des mots(私は言葉を信じられないから踊る)”、実生活でも恋人であるダンサーThéo Touvetと共にセクシャリティーについて描く”Embrases-moi”、そしてダンサーとして世界中を駆け巡る多忙な自分そのものを主題とした”Robot, l’amour éternel(ロボット − 永遠の愛)”の三つから成り立つ。一作目では、上記の抜粋でも垣間見れるように、郁女は踊る父親に向かってフランス語で「浮気したことあるのか?」などの日常では訊きづらい質問を大声で連打している。実の父と長年伝えられなかった強い思いを舞台でぶつけ合うという、ある意味実生活よりも濃い「人生」がそこにある。

Théo Touvetとの共作”Embrase-moi”のイメージ画像 © Gregory Batardon

私生活に密着した題材を扱う反面、郁女はそれをただ自己を暴露するように表現するのではなく、誰もが共有できるものとする距離感を併せ持つ。そのバランスこそが彼女の本当に素晴らしい才能だと『Himé』の同僚たちは語る。彼女自身、鑑賞者に自分の考えを押し付けることは嫌い、みなに通じる疑問を投げかけるまでに留めるような作品作りを心がけていると、近年のラジオインタビューで語っている。

7.食事は主に日本食らしい

ヨーロッパへと飛び立った当初は、合わなかった日本との距離をとりたいという想いから西洋人らしい生活をすることに努めていたという。フランス語に日本人アクセントが出ることも嫌っていたそうだ。それは10年、15年という時間と共に落ち着き、改めて自分の日本人らしさを認められるようになったという。その変化はもちろん作品にも影響した。友人たちの話によると、あるとき日本食がいちばん自分の体に合うと気付いた彼女は、ほぼ常に日本食を食べているのだとか。

8.ビデオアーティストとしても才気溢れる

伊藤郁女は実はビデオアーティストとしても才能があり、フランスではその多才性がよく話題となる。例えば『IRIS』の時代であるが、観覧車が一周する間にそれぞれの個室でダンサーが踊るという映像作品を作り、とてもおもしろいと評判だった。ニューヨーク在学時代には、今年1月に亡くなった前衛映画の巨匠ジョナス・メカスと友人となっていたそうで、彼との共作も手掛けていた。

9.ジャーナリストが恋に落ちてしまう

仏誌主催のインタビューでは、『郁女』という名の意味がよく尋ねられる。「女性」またはその発音から「よい香りを放つ」という名を持つ彼女は、舞台外でも魅惑的なオーラを放つ女性だ。これまでも、恋に落ちてしまうジャーナリストは多かったらしい。一般的にはアーティスト側が自分の宣伝を依頼するものだが、郁女の場合は逆で、また会いたいと願うジャーナリストからの連絡が絶えなかったそうだ。

10.年を取ることや死が怖くない

パリのSaint Martin運河沿いを歩く伊藤郁女 © Laurent Paillier

郁女は2012年に仏誌ル・モンドのインタビューで「年を取るのが待ち遠しい」と答えている。80歳になっても踊り続けていることを祈っているのだそうだ。

三部作の三作目でも表現されているように、彼女はダンサーとして世界を駆け巡る人生を、時に短い生と死の集成のように感じるらしい。数多くの一期一会、そして舞台で演じることは、毎回が新たに生まれ最後には死ぬような感覚を起こすのだそうだ。それはまるでこの人生の中で既に幾度もの死と生まれ変わりを経験しているかのようで、今や人が死ぬ瞬間というのは特に怖がるべきものではないような気がし始めていると言う。

また、郁女は最近初めての出産を経験している。息子という新しい命をこの世界へと生み出したことは、自分自身と世界の関係をも変えたと彼女は言っている。そして舞台での自身のあり方までも。かつて不安定さを引き起していた凝縮された短い人生のような舞台を何度繰り返しても、今では穏やかに常に自分は自分だと感じられるようになったのだそうだ。美しいダンサーは1年前のラジオ番組で幸せそうに語った。

 

いかがでしたでしょうか。興味の湧いた方は、次回の来日に備えてぜひウェブサイトをチェックしていただきたい。伊藤郁女の日本公演は珍しく、チケット完売の可能性は高いのでお気をつけて。

Kaori Ito 公式サイト : www.kaoriito.com

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