http://mazzoleniart.com/it/elenco_artisti/hidetoshi-nagasawa/

昨年2018年3月、惜しくも77歳でこの世を去ってしまった日本人コンテンポラリーアーティスト、彫刻家であるHidetoshi Nagasawa(長澤英俊)。1960年代、わずか500ドルと自転車のみを所有して日本を飛び出したという興味深い経歴がある伝説のアーティストだ。彼が亡くなってしまった報道は日本はもちろん、彼が生涯に渡って制作活動を続けたイタリアでも新聞やアート誌などを通して異色の日本人アーティストHidetoshi Nagasawaを惜しむニュースは大々的に取り上げられている。今回は、Hidetoshi Nagasawaの生涯の功績と日本人後世代に残したい彼のメッセージとは何かを、連載:知っておきたい10の事にまとめて特集したい。

http://www.tamabi.ac.jp/yuga/teachers/nagasawa/index.html

1:旧満州国(現在の中国黒龍江省)で生まれる

Hidetoshi Nagasawa(長澤英俊)

1940年10月30日、父親が日本軍の軍医として勤務してた旧満州国(現在の中国黒龍江省)で生まれる。1945年の敗戦をきっかけに、余儀なく母親の実家がある埼玉県に移り住むことになる。

2:日本での学生時代

高校時代は数学と絵画に傾倒。東京の多摩美術大学に進学し建築とインテリアデザインを学ぶ。また彼は学生時代、空手や徒歩旅行にも打ち込んでいたという。

3:26歳で、500ドルと自転車のみを所有し日本を飛び出す

Hidetoshi Nagasawaの芸術家として最も偉大な功績は、一般なら単純にただビックリしてしまうような突拍子も無い発想(イデア)を実際に本人の経験として体験し探求したというアーティストとしてのダイナミックな心意気である。

1966年、半年前に結婚したばかりだという長澤は、芸術家として世界的視野の中で感覚を磨き表現活動して行くことを決意し、まだ26歳という若さでわずか500ドルと自転車のみを所有し単身日本を飛び出した。

4:ユーラシア大陸を1年半で自転車横断

Hidetoshi Nagasawaのまず最初の発想(イデア)は、ユーラシア大陸を自転車横断するという突拍子も無い考えであった。彼がはじめに訪れた諸国は、タイ、シンガポール、インド、パキスタン、アフガニスタン、イラン、イラク、シリア等、アジア、中近東の諸地域。さまざまな文化遺産、習俗、宗教、生活様式を間近に接触し、土着的に体験として彼の記憶に吸収させた。

アジア、ヨーロッパ、アラブ等、全く異なる文化が混ざり合う中間地点であるトルコまで遂にたどり着いた際、ラジオで流れていたモーツァルトの曲に不思議と親近感を感じ、東洋と西洋の融合を肌で実感した。

ギリシャから航路を使ってイタリアについた彼は、現地の美術館や文化遺産をひととおり周りつくし、最後に訪れたミラノで彼の旅唯一の移動手段であった日本から持って来た自転車が盗まれてしまうというハプニングに遭遇。しかし長澤はこれを運命だと解釈し、1年半に渡ったユーラシア大陸自転車横断の旅を余儀なく中断し、最終地点にたまたまなったミラノに定住することになる。

5:同時期に活動するアーティスト仲間との交流

ミラノに仕方なく定着することになった長澤は、その後日本から妻も招いて本格的にイタリアで制作活動をはじめることになる。当時、ミラノで同時期に活動していた他の優れたアーティストたち(Enrico Castellani、Mario Nigro、Antonio Trotta等)との知的、芸術的な交友関係を通し、Hidetoshi Nagasawaは現地での活動を瞬く間と広げて行った。

http://www.scomunicando.it/notizie/wp-content/uploads/2018/03/29594970_10214262140899567_3352346723639415910_n.jpg

6:Hidetoshi Nagasawaの芸術的哲学(アーティスト声明)とは

芸術の本質とは、行為と精神に宿るものである。

Hidetoshi Nagasawa(長澤英俊)

長澤芸術の特徴は、芸術の本質が物体・物質に記録されていなくても、または例えそれが自然発祥とは相反した考えであったとしても「イデア」がまず、ものづくりの根源であると主張した点である。

物質の本質を宇宙的に捉えミニマルに表現された彼の作品は、まるでストーンヘンジの遺跡のような謎めいた奥深さがある。また、彼の芸術家としての生き方と作風に対して、海外では頻繁に「神話的」であるとも評価されている。

https://sdart.jp/archives/755

7:西洋と東洋の間を探求

Hidetoshi Nagasawaの生涯にかけて行われた芸術的探求の焦点は、西洋と東洋の間であった。目的に到達する喜びよりも、それを目指し繰り返される過程に芸術的な意味を見いだす「禅」の美意識は、ユーラシア大陸を自転車横断するほどの強い精神からでも分かるように彼の人生そのものの根本的コンセプトである。

キリスト教文化が特に強く根付いているイタリアで、長澤はその土地特有の素材(大理石やブロンズ、木材等)を彼なりに生かし、東洋的発想で表現した。

8:作品発表とヴェネツィア・ビエンナーレ

Hidetoshi Nagasawaは1970年代から主にヨーロッパ、日本を中心に展示会活動を行っている。特に1972、76、82、88、93年に参加した世界最大規模の国際アートの祭典ヴェネツィア・ビエンナーレを通し、彼の名は国際的に高い評価を得ることになった。

国際的な政治、文化に大きく影響を与えるヴェネツィア・ビエンナーレの特徴は、まるでオリンピックかのように参加各国ごと展示場が分かれ、それぞれの国を代表するアーティストが国ごとに紹介されるという仕組みである。1993年、このアートの祭典でHidetoshi Nagasawaは日本人として誇らしくもイタリア代表のアーティストとして展示参加している。

9:社会的プロジェクトへの参加

 

彼の作品は単に彫刻としてのオブジェクトのみには限らず、建築や庭園内のランドスケープアートの世界まで幅を広げている。1980年以降から長澤はギャラリーを通し作品を売る方向性から次第に自由になり、個人や共同体が依頼する社会的な環境アートプロジェクトに参加するようになった。多様な空間条件を生かした彼の発想(イデア)と質の高さは、限られた条件の中で都市空間をデザインする従来のパブリック・アートとは違い、より宇宙的な発想から生まれるものであった。

https://blog.goo.ne.jp/nazohige/e/f2ecdeabdd85824e7096378dd9c78794

10:イデアは理性から生まれるものではない

長澤にとってアートの根源であるイデアとは、理性から生まれるて来るものではなく、全く別の熱意のような目的から生じるものだという。「目的+決意+行為と精神=芸術の本質」だと見いだした長澤の生涯は非常に奥深い宇宙的探求の連続であった。

日本人アーティストのまさに鏡になるような伝説的芸術家Hidetoshi Nagasawa。77歳、イタリアのミラノで死去された長澤氏に深いご冥福を祈りたい。

https://www.galleriailponte.com/en/hidetoshi-nagasawa-en/
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