F-MAGZINEはサイトを引っ越しました。
記事はリニューアルした新しいサイトで読むことができます!

新しいサイトはこちら

「これからは自分の作品と呼べるようなものも作りたい」アートディレクター・平野正子をかたち作っている思想とは。

by

今回はアートディレクターとしての仕事に加え、ヒューマンビジュアルマガジン『skydiving magazine』の発行、グラフィックアート作品の展示など、精力的に活動する平野正子氏をご紹介。

過去には、Reebok CLASICFreestyleというモデルの発売35周年を記念し、木村カエラとコラボレーションしたモデルの宣伝ビジュアルをskydiving magazineとして制作。アートディレクシィン、撮影、グラフィックデザインを担当。

東京都が支援するTokyo 新人デザイナーファッション大賞の2018年度のポスター・フライヤーのアートディレクション・グラフィックデザインも担当している。

アートディレクターとして、アーティストとして、自分をかたち作っている思想や、これからの展望について話してくれた。

 

–出身はどちらですか?

山口県で生まれました。ただ、すぐに福岡へ移って、2歳からタイへ行き、小学校卒業まで10年ほどタイに住んでいました。

 

–美大在学中は何をされていましたか?

あまり何をしていたか覚えてないのですが……大学2年生か3年生の頃に自分で作ったグラフィックを衣類にプリントして販売するようになりました。それ自体はよくあることなんですけど。学校の課題では割とみんな、架空のクライアントを想定したりして制作を行っているけれど、私は実際に売るものを作ろうと考えました。売るためのビジュアルを作ってみて、それが売れたら自分の制作費の回収にもなるし、作ったもののブランディングにもなるから、それを『課題』として考えずにできました。課題と自分のしたいことを融合して、出しちゃおうって。

 

–どういう人に服やグッズを身につけてほしいか、という狙いはありましたか?

一つのブランドとして、みたいなものはあまりなかったです。自分の作品が不特定な状況で唐突に1人歩きしている状態がいいっていうのがあって、毎回テイストを変えていたりします。友達から「学校の外で見たよ」と言われることもあって、それが面白くて。おしゃれな人に着てほしいという訳でもないです。自分はファッションに対してそんなに特別なこだわりがある方ではないし、タイには夏しかなかったこともあり服への意識がどうしても低いように思います。

今年の初めにアイドルの子が私の服を着てくれていて、そのときに名前も出してくれてたのでその子のファンの人がたくさん服を買ってくれて、普段は女性からの注文が多いのに、男の人からの注文がすごく増えたんですよ。「自分のブランディングと違う」という感じで嫌がる人もいるんですが、私は予想外に面白いことが起こったらそれはそれでいいな、と。

 

–スカイダイビングマガジンについて教えてください。

代官山の蔦屋書店さんと、恵比寿のNADiff(http://www.nadiff.com/に置いています。まだ営業をほとんどかけていないので取扱書店を国内外に増やそうと準備している段階です。今までは年2回の発行だったのですが、今年は1回だけの発行にしようと思っています。そのかわりではないのですが、今年の4月には中目黒のW+K+ Galleryで自分たちの好きな作家を集めてイベントをやってみたりと、そういった方向で個展とは違った形でのキュレーションを試みたりしました。

 

“skydiving magazine” EPISODE 3 展示DM

 

–発行回数を減らすのは中身の充実を図るためですか?

そうですね。今は自主出版で予算が限られていることもあり、本という物質として見たときに印刷の質などといった点でパブリッシャー(出版社)が付いている人の雑誌と比べると、見劣りします。

ビジュアルも良くてその上インクの発色も良い本を見るとやはりうっとりしちゃいます。ペラっとしたものを作りたいというコンセプトだったら今のままでもいいんですけど、ちゃんと本として残したい、ビジュアルメインで作りたい、と思って作り始めたものなので、質を上げてみようと。例えば部数を限定するとか、スポンサーをつけるとか。まずはやってみるのがいいという話をしていて、今回は年1回の発行となりました。

 

–発表の時期は決まっていますか。

はい。11月に原宿のTOKYO CULTUART by BEAMSでの展示が決まっていて、そのときに発表します。

 

–海外で仕事をしてみたいという気持ちはありますか。

あります、また海外で暮らしたいと思いながら10年以上経ったので、来年か再来年には出たいなと考えています。最初はビザのことを考えて海外の大学院進学を考えていたのですが、ここ1年ぐらいフリーランス一本でやっていて、ちょっとずつ考えが変わってきました。ここ13年間ぐらいはただ日本にいることに息苦しさを感じでいて出て行きたかったのですが、今はしばらく日本でやってみたいことができて、ようやく今までの短い人生に対しての整理をする段階にたどり着けた状態です。

 

–国は決まっていますか?

アメリカかな、とぼんやり考えていてたんですけど、ヨーロッパにもまったく行ったことがないのに決められないなと思い始めました。アメリカには去年も今年も行ってるので、展示の前の今年の9月ぐらいに、大きく休みを取ってヨーロッパを何ヶ所かまわってからまた考えようかなと。

 

–いいところがあればそこで仕事をしたい?

経験則として多分1年後か2年後に呼ばれるように自分の中で決まると思うので、決め込みすぎないようにしようかな、くらいの軽い気持ちでいます。

 

–今日本でやりたい仕事はありますか?

去年までは「あれがやりたい、これがやりたい」と言っていたんですけど、今年2月の終わりに25歳になり、突然ふっと、それはいいかなと。闇雲に騒いでも状況は変わらないから、来た仕事をいかに自分の納得できる形でできるか、学生時代の課題のように、自分のやりたいことリストにつなげて、お互いにとって利益のあるものにするかを考えていったほうが早くて。「ああしたい、こうしたい」ばかり考えていると精神的にもキツくなってきちゃうから、自分のやりたいことを諦めない形で前向きに捉えるようになりましたね。

今年、国土交通省の仕事をやって、いかにそのフォーマットの中で、前作られていたものよりよく見せるかということや、相手が「ここが良くなったね」と言って喜ぶことをやってみたりとか、今までしなかったことをするのも楽しかったです。いわゆる普通の働き方をちゃんとしたことがなく、どうしてもアート寄りな表現をすることが多かったので、いつも我を強く出さなくてもいいという気持ちになれたのは新鮮でした。

 

 

-影響を受けたものをなんでも教えてください

母親の影響が一番大きいかもしれません。美大に入るきっかけは武蔵美の油絵科出身の母の影響でした。タイに住んでいた時に、父がタイの中で単身赴任をしていて、家にあまりいなかったので、母と兄と私の世界という感じで。画集やレコードも母はたくさん持っていたし、それを見たり聴いたりしていて。いろんな国へ旅行に行ったりその国の食べ物を食べたりだとか、形に残らないものをたくさん与えてくれました。でも、なんとなくその母親の反対側っぽい道を選ぼうと考えて多摩美術大学のグラフィックデザイン学科を選びました。

 

–今面白いと思っている人物や作品はありますか。

個人的に面白い人はいるんですけど、あまり外に出たがらない人が多くて。「なんでこの人こんなに面白いのに外出ないんだろう?」という人の方が多いかも。東京の面白い人1000人以内には入れるのに、本当に。すごいと思う人はたくさんいるんですけど、それこそ、大学の後輩でも会社を経営してたりとか、学生の時点で自分でお金を稼ぐことができてる人もいて、それは本当にすごいと思うしいつも見上げるような気持ちなんですけど、面白いという観点では少し違いますね。

SNSやイベントごとで今流行りの人を追いかけることより、昔の人についての本を読んでそこから何かを考えたりするのが好きです。

 

–最先端のものよりは、昔の作品の方がお好きなのですか?

そういう部分があると思います。今の最先端っぽくてかっこいいとされているものって、3Dが出てきて皆が「おー!」とかいって驚いていたのと同じように感じていて。映像を見ていても、解像度が高かったりしても、そういった観点での凄さは感じるんですけど、だからと言って自分の作品自体に影響を及ぼすことはあまりないです。

私の頭の回転が遅いのもあると思うんですけど・・・それよりは昔の人とか物、もう終わったものを見て、それに対して今までの自分の経験の中で何を見出すか、それを知ることが楽しいです。視覚的なものが1番強い訳ではなく、自分の触れた物事から抽出した思想について考えることの方が多いと思います。

 

–ビジュアルコンシャスな影響はあまり受けないということですか?

実はそれも結構影響を受けているところもあります。気づいたら、流行りっぽいものを作っていることもあったり。見た目の部分は別に流動的でいいかな、と思っていることもあって、中にある部分を面白くしたいと思っています。見た目にだけ頼ってしまうと、どうしてもこの世界にすでにあるものと似通ってきてしまうと思うので。

 

–流行りものってすごくビジュアルが似通ってきますよね。

そう、結局は記号の組み合わせだったりするので。色とか、形とか、質感とか。

 

–どの時代の作品や思想がお好きですか?

昔といっても、ここ200年くらいですね。それ以上古いものはそこまで……古代の人とか、そういうプリミティブなものも面白いとは思うんですが、それよりもこの150年くらいの自動車が登場したぐらいの現代的な生活に近づいてきた時代からの人が思ったこととか、生活の中で生まれてきたことなどに興味があります。

この世の中で起こってること自体は本質の部分で似ていることが多いと思います。誰かが生まれて嬉しいとか、死んで悲しいとか、出来事は一緒だとして、それでも周りの人の反応や思うことはその過程や関係性で変わっていきます。もう終わったものに対するいろんな視点による解釈を自分の中に取り込んでみて、自分の考えを広げていくのが楽しいです。全然関係ないと思っていた物事同士が繋がる瞬間があります。

 

–映画や音楽に影響を受けることはありますか?

あります、結構なんでも観たり聴いたりしてます。昔は聴かなかった音楽を楽しめるようになったり。映画は、起承転結が大きくないようなものが好きですね。人の人生の中の、3日間とか、1ヶ月を切り取った、自然なもの……2時間くらいの尺でエンターテイメントを盛り込むこともできるけど、それよりは短い時間をのぞき観るような作品が方が好きです。もちろん娯楽としてエンターテイメント性の強い映画も観ますし、コンセプトに影響を受けたりもします。

 

–それらの作品を自身の制作に持ち込んだりしますか?

あると思います。見たり聴いたりするものを限定しないようにしているので何にでも影響を受けます、道端を歩いている人からヒントを得ることすらあります。

日本に来て違和感があったのは、いろんな人種がそんなにいなくて、根本的なところが似通ってしまってるから、小さいところで差異をつけてジャンル分けをしたがる感じが結構めんどうくさいなと思って。もっと流動的でいいし、こっちもこっちも良いのに、なんで分けちゃうんだろうって感じがして……それもあって、あまりひとつのところに偏るのはやめようとしてます。

 

–東京だとそれが更に可視化されているような感じがしますよね。

そうですね、ファッションでもそうだし音楽でも。東京に限らず世界中でそんなあることはあると思うけど、日本では特にそれを感じました。おもしろい部分でもあるんですけどね。

 

–これからもアートディレクターとしての仕事をしていくのでしょうか?

はい、けれど最終的にはアーティストとして仕事したいっていうのはありますね。展示をしたいギャラリーもあるし、大袈裟なことをいえば、現代美術館と呼ばれるようなところで展示されるような作品を作りたい、というのもあります。作品を作りつつ足元を固めている感じで、フリーランスとしても今はやっていけているんですけど、振り返ってみると実はちゃんとモノになったものが少ない。仕事だと、モノになったとしても紙媒体としてただ印刷をされたものが多かったので。作品と呼べるようなものも自分で作りたいです。

初心に立ち返るというわけではないんですけど、元々は自分の表現したいと感じた事柄を媒体にとらわれず作るというスタンスだったので、今年の後半はそっちに振ってみようとしています。

今まで自分で全然売り込みとかはしていなくて。海外の人と仕事したいっていうのは漠然としてあるんですけど、そういう人が私を見つける可能性ってかなり低いのに、自分から何も動かないのも良くないなって思いつつ、できていなくて。今までのアーカイブを整理することに加えて、単純に表現を楽しむ作品作りをしながら、ちょっとずつ自分がやりたい方向に泳いでいったら、仕事でもアドヴァタイジングの域を超えて作品として物を作れるのではないのかな、と。その辺りは動きながら考えようと思います。

 

–これからも仕事はフリーランスで行なっていく予定ですか?

そうですね。卒業後2年ぐらいは大学院に行ったつもりで生きてみようと思って、今ちょうど大学院に行っていれば卒業する年で、フリーランスとしてやっていけるようになったという感じなので。

 

タイで過ごした幼少期から今に至るまで、彼女は取り入れるものを差別化せずに吸収し、育ってきた。彼女はこれからも、躍進的に作品を生み出していくだろう。

 

平野正子(ひらの・まさこ)

多摩美術大学グラフィックデザイン学科卒業。 カメラワークからグラフィック制作まで幅広くこなす。 

instagram: @cokepotato

Web: http://masakohirano.com

 

No Comments Yet.

What do you think?

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です