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「服は言葉の代わりで、絵は現実逃避」 若手デザイナーBEBIが服作りを行う理由

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BEBI、唯一無二のクリエーションを手掛ける1人の若手デザイナーがいる。1点ものの服作り、衣装制作、アパレルブランドのデザイン、イラストレーションとその活動は様々だ。いったい、彼女の作品はどのようにして生まれるのか。彼女の生き方を遡りながら、その根源に迫る。

 

―まず始めに、自己紹介をお願いします。

BEBIというアーティスト名で活動しています。服を作ったり、絵を描いたり、ブランドのデザイナーを務めたりしています。高校生の頃、童顔だったのがきっかけでバイト先でベイビーちゃんと呼ばれるようになりました。その後原宿にハマったんですけど、当時の原宿はあだ名で名乗ることが多かったので、自分でもベイビーと名乗るようになって(笑) 気が付いたら省略されて現在のBEBIという名前に辿り着きました。

 

―小さい頃はどんな子供だったのですか?

遊びのルールも自分たちで考えるような自由保育の幼稚園で育ちました。運動会の内容とかも自分たちで決めてみたいな。“こうでなきゃいけない”みたいなのがあんまりない環境で育ちましたね。
小学生は、打って変わって1000人くらいのマンモス校。周りで服の話題になることが多かったので、“自分のファッションがどうなのか”を凄く気にする子供でした。でも、卒業後に入れる幼稚園がやっている習い事があったんです。“遊び島”、“ちっくんぱっくん”の2つ。遊び島は、ツリーハウスを作ったり、畑で野菜を作ってバーベキューをしたり。ちっくんぱっくんは、名前の通り、チクチク縫うのとパクパク食べる(笑) バッグとか身に付けるものを作って、食べるものも作っていて。自分では全く覚えてないんですけど(笑)

あとは、幼稚園が毎年開催している、幼稚園卒業後の小学1年生から上は40歳くらいまでが参加する、100人を超える規模のキャンプもあって。そこでも、遊びもルールも自分たちで考えるという自由に楽しんでいる人たちと触れ合っていて、幼稚園よりルールに縛られることが多かった小学校生活も乗り切ることができました。

そんな小さい頃の夢は絵描き。絵画コンクールに出したり、知り合いの本の挿絵も描いたり、幼稚園の環境もあって、その頃からものを作るのが必然的に好きでしたね。

 

―作る環境には幼い頃からいたのですね。ファッションを意識し始めたのはいつ頃だったのでしょうか?

母方の親族がみんな買い物好きなのもあって、幼いころから大量に服が送られてきていたんです。でも、デザイナーズブランドのものとか個性的なものが多くて。当時は、それが凄く嫌だった。周りの見られ方を気にしていたので、寧ろ皆と同じ大量生産されているような服が着たかったんですよ。だから、せっかく送られてきたけど私は全然着なくって(笑) 小3くらいまで送られてきていたんですけど、流石に送られてこなくなりました。

その後、服が好きな友達に古着を教えてもらったりして。初めて貰ったお小遣いでも自分の服を買いに行きました。その1着を凄く大切にしていて、私の身体が成長してピチピチになっても、自分で切ったりしてどうにか着ていましたね(笑) 中学生の頃は、初めてちゃんと付き合った人がお兄ちゃんがいたこともあって。彼は同級生の中で特にお洒落だったんです。一緒にいたら感化されて、ファッションがさらに好きになりました。

さらに、劇的に変化したのは高校1年生の時。友達に誘われて、文化服装学院(以下、文化)のサマーセミナーに行ったんです。初めて自分の見ている世界が変わった瞬間でした。当時、きゃりーぱみゅぱみゅが流行る少し前くらいだったんですけど、そこには原宿系の人達がいっぱいいて。みんなファッションを楽しんでいる印象を凄く受けて、衝撃を受けました。それまでの自分も、ニコラとかラブベリー、セブンティーンを読み込んでいて、服は好きだったんです。でも、街を歩くと同じ格好をした人がいっぱいいて。その日を境に、ジッパーを読むようになって青文字系をチェックするようになりましたね。高校2年生くらいからは、大幅に原宿系に変わったので周りにも驚かれました。髪も染めて、よく先生に怒られていた(笑) 週3、4で原宿に行っていたので、原宿界隈で友達ができたり、店員さんとも仲良くなったりして、文化に進むのも自然な流れでした。

 

―ファッションの世界にハマった流れは分かりました。でも、なぜ服を作ろうと?

小さい頃から、物もそうだし、遊びもルールも自ら生み出すことに触れていて。だから、“作る”ことにしか目がいかなかったんです。それ以外の選択肢が全く見えていなかった。

あとは、高校の体育祭に応援団があったんですけど、多分その青春もきっかけにはなっていて。学年、クラスの枠を超えて100人規模の4組に分かれていて、1年かけて準備をするんです。歌も踊りも衣装も全部自分たちで考えて。そこでの思い出が、服を作りたいって思うようになりました。

 

 

―文化の時に、優秀賞のようなもの受賞されているのを拝見しました。服を作るって、楽しさの裏に、思うように進まない辛い時間もあると思います。頑張れていたのはなぜですか?

私がやってきたことって、人に言われたからやっているわけではないし、やらなきゃいけないと思ってやってもいないんです。単に自分が好きでやっていて。しかも、それが周りから評価もしてもらえてきて。幼稚園で絵を描いたら賞を取ったり、絵本の挿絵に使われたり、好きな服を着ていたら「どこで服買っているの?」って聞かれたり。文化でも何故か成績が良かったんですよね。だから、自分の自信にも繋がっていったんだと思います。自分の好きなことを、全部形にしていきたいっていう想いがあっただけで、どんな中でも楽しさを見出すことができるので、頑張れたことに大した理由はないです(笑)

 

―凄いですね、驚きです。挫折とか嫌になったりすることはなかったんですか?

挫折ってほどの挫折はないかもしれません。作っている最中に、自分の作りたいものがあまりにも形にならなくて、自分が納得できないものを作るのは嫌なので、完成に近づいているのに1から作り直しちゃうこととかはありますけどね。ずっと作り続けていたわけじゃないですけど、作り始めてから完成するまで3年もかかった作品もあるくらいです(笑)

でも、1つ挙げるとしたら昨年の少し活動をお休みしていた時期ですかね。文化で知り合った中国人のニールと『bebi&niru』っていうブランドを昨年スタートさせて。最初は、電話で“いつか一緒にブランドやりたいね”って言っていたのが、ニールが投資家を見つけてきてくれたこともあって、実現に至った感じです。卒業してから約半年間制作に時間をかけて、8月にポップアップでTシャツを販売しました。用意していた250枚は無事完売で、傍から見たら大成功。だけど、作り始めてから販売に至るまでに2人の好みが変わっちゃったり、投資を受けているから絶対に売れなきゃいけないっていうそれまでの服作りにはなかった状況もあって。結果私もニールも、完全に納得のいくものではなかったんです。それに、このTシャツは色んな友達のことを想像して作ったものだったんですけど、人に着てもらう服を作るということ、作りたい服を自分1人ではなくて沢山の人たちと作ることが本当に大変で。最初の想いを綺麗事だと思ってしまう自分たちも見えてきて。理想と現実にギャップを感じました。2人とも他の仕事も同時並行だったので、体力・精神ともに疲労困憊でしたね。

でも、文化時代から受けていた衣装制作や、セレクトショップのオリジナル商品の製作、色んな仕事がその後も結構きていて、9月まではバタバタで。自分のやりたいことがきちんと定まっていないまま、色んな人と仕事をしちゃっていた状況でした。それで、服にも人との付き合いにも、だんだん自分というものが出せなくなって。それが原因か体調も悪くなって。11月のある日、打ち合わせの後、突然駅のホームで倒れたんです。そこから、過呼吸癖もついたし、人と1時間以上しゃべれないみたいな状況も続きましたね。結果、一時期どこにも行かずに毎日寝ているようになったくらい。

 

 

―そこからどう現在の状態にまで回復したのでしょうか?

12月に、これじゃ駄目だなって思って、自分の好きな友達とか、色々な分野の人と少しずつ会って話をするようになりました。年末には、幼稚園のときからの幼馴染5人と会ったんですけど、その時、私のための議論を物凄い熱量で3時間くらいしてくれて。私もほぼ泣きながら、自分の隠していた部分を出していったら、“私は自分のために服を作っている”っていうことに気が付きました。そうしたら、今の方向性にパっと明るく開けましたね。

 

―そうだったんですね。では、BEBIさんにとって、服を作るとはどんな意味をもつのでしょうか?

ブランドのときや誰かとのコラボ、その服を作る状況にも寄るんですけど、1点ものの時は、“言葉の代わり”ですね。自分の想いであったり、言葉に出来ない感情を、整理整頓してアウトプットする方法として服を作っています。

例えば、昔作った服なんですけど、当時めちゃくちゃ好きだった彼氏と別れた直後に作った服。その人と分かれて、家に戻るときに道端に落ちている葉っぱに目がいきました。それが、凄く美しく思えて、拾って帰りましたね。付き合っているときは、今がすごく幸せだと思っていたけど、自分はすぐ横にある小さな幸せに気づけていなかったんだなって分かって。そこで、別れた悲しさと新たに気が付いた発見を服にしました。そうすると、作り終わったらケロっとしているんですよね。服を作ることによって、前に進むことができるんです。ただ、自己満足で作ってはいるんですけど、私の作ったものを気に入ってくれる人がいて、その人が自分のものにしてくれて初めて、完成だと思っていて。だから、最終的には1つの表現作品として、誰かに届いたらいいなという気持ちで作っています。

ブランドとして作るときには、また少し意味が変わっていて。人に着てもらうことを考えて、自分の周りの人たちが着ていることを想像しながら作っています。コラボレーションも、その人とのセッションで生まれたものを大切にして作っているので、その時々で服を作る意味合いは変わりますね。

 

 

―最近は絵を描く活動もしていますよね。絵を描く理由も、服を作るのと同じですか?

小さい頃は、絵描きになりたかったので毎日のように絵を描いていました。でも、学校の授業で絵を描くようになってから、この紙を使って、この絵の具を使って、配色はこうしなさいみたいな制限から、1番好きだった絵が嫌いなものに変わったんです。だけど、文化のあるデザイン画の先生が、凄く自由を良しとしてくれる先生で。おかげで、また絵が楽しいと思い始めました。

最近描いている絵は、学生の頃に描き始めたもので。課題が山積みになっているときに、いつの間にか手が動いていました。描いているのは人間の顔なんですけど、気が付いたら考えているときに勝手に表れてくるようになって。みんな“お前の本心分かってるぞ”みたいな顔をしているので、うるさいよって思いながらも前を向かざるを得なくなるんです(笑)

少し前、いつの間にかに現れてくるその絵の中の人達に、自分から会いに行ってみようと思いながら描いて、セレクトショップで出店したことがあるんですけど。その時たまたま来てくれたお客さんに、「君の絵は魂やエネルギーが感じられない」って言われたことがあって。久々に自分が作った作品に対して批判をされたので傷つきました。でも、その気持ちの根本を探ってみたら、ポジティブにアーティスト的な思考で絵を描いているように伝えて、自分を良く見せようとしていたことに気が付いて。考えている時にいつも勝手に表れるなと思っていたけれど、そうではなかったんです。大量のやらなきゃいけないことを前に、それを考えないために絵を描いていて、現実逃避だったんだなって。だから、お客さんに言われて傷ついた本当の理由は、絵が問題なんじゃなくって、ありのままじゃない自分を指摘されたからだったんですよね。魂もエネルギーもない現実逃避の結果こそが、自分の描く絵なんです。

でも、それが私の絵だし、これからも変わらない。気に入ってくれる人がいるなら、出店もし続けたいです。近々、『現実逃避』っていう名前の個展をやりたいとも思っているくらい(笑)

 

 

―服は表現方法で、絵は現実逃避なんですね。服を作るときに、自分の想いをデザインに落とし込むことが多いと思いますが、何かを見て影響を受けて作品を作ることはありますか?

一番影響を受けるのは、友達や友達との会話。ブランドのように、コンセプトを打ち出して作るやり方とは違います。友達と話していて、感動したエピソードとか、忘れたくないなっていう言葉。言葉から派生して、その言葉に似合う色を選んだりもしますね。

さっきの、彼と別れた時の服にも“I couldn’t care about beautiful things. (美しいものに気が付く余裕がなかった。)”っていう刺繍をしていました。あとは、仲の良い友達が開催する『ゆとり』っていうイベントがあって、その情報がグループLINEで流れたときがあって。そこで、誰かが「ほぼゆとり」って発言したんですよ。その響きがめちゃくちゃ良いなって思って、その“ほぼゆとり”と、ちょうど私たちが最後のゆとり世代だったので、“1995年、ラストゆとり世代を誇りに思う“っていう言葉を刺繍した服も作りましたね(笑)

他にも、風景だったり、映画に影響を受けて作ったこともあります。人種差別や格差社会の社会問題を題材にした映画を3本立て続けに見た時があるんですけど、その時に“自分に何が出来るんだろう”って思って、服にしました。これは、『ストレイト・アウタ・コンプトン』っていうヒップホップと格差社会を題材にした映画を見ながら描いた絵の刺繍をしています。いらないから材料にしたらと友達に貰ったスウェットとニットを縫い合わせているんですけど、全く無駄の出ない作り方をしていて。作っている時は何も考えないで、ひたすら手を動かしているんですけど、“見捨てられた洋服も息を吹き返す”ということや、“どんな環境でも光は見出せる”という気持ちがこもった服だなって。完成した後から、気が付くんです(笑)

 

 

 

―自分の想い、友達の感情、映画、様々なものから色んな服を作ってこられたと思います。その中でも、重要な1着をひとつ教えて下さい。

文化で3年生に上がった時、最初の課題で作った服。それまでの授業とは違って、初めて何の制限もなくて自由に作って良いと言われた課題でした。その時に、自分にしか作れないものを考えると、必然的に“自分のアイデンティティのひとつに日本人であること”が出てきて。あとは当時、襤褸(ぼろ)の展示を見て影響を受けたのもありましたね。最初はもっと分かりやすく浮世絵をデザインした作品を作ろうとしていたんですけど、納得いかなくて提出の1日前に作り直すことを決めて。そうしたら、先生から見放されちゃって(笑) でも、おかげで自分のやりたいこと全部やろうって吹っ切れました。私の家には、人からもらった服とか、着られないけど思い出の服とか、捨てられない服が大量にあったんです。だから、リメイクの作品を。このジャケットは、中学生の頃に初めてできた彼氏とデートに行くために買いに行ったデニム、幼馴染からもらったデニム、原宿に通い始めた時に古着屋で買ったデニム、色んなデニムを8本くらい解いて作った作品。言わば、自分の思い入れの剥ぎ合わせ。あとは、“日本人である”というアイデンティティから、和服の要素をと思い、直線で裁ったパーツを縫い合わせた平面構成で造形していて。ものを大事にしたい、大事にされるものを作りたいっていう気持ちがこもった服でした。

これは、ビジュアル的な部分で、その後の服作りに大きく繋がっていて。生地屋さんで布を購入することもありますが、人が着こんだもしくは既に使われた布のありさまに魅力を感じるので、この作品以降、今も古布を材料として使うことが多いです。

 

 

―最後に、今後どのように活動していきたいかを教えて下さい。

1点ものに関しては、今と変わらず自分の言葉の代わりに作り続けようと思っています。もはや私にとっては、息をするのと同じ感覚なので(笑) あとは、来年か再来年には『BEBI』というブランドを始めたいですね。一切妥協しないで作りたいものを突きつめて、自分の着たい服と誰かに着てもらいたい服を作りたいなと。年に1回の発表でも良いからやりたい。『bebi&niru』も続けていく予定なので、そこで資金を集めてお金が集まったら、開始したいなと思っています。作りたい服が次から次へと出てくるので。

あとは、ずっとやりたいと思っていることが2つあって。1つは服作りの旅。北海道だったら、北海道で素材を集めて、北海道で作って、完全メイドイン北海道。これを、青森、秋田って、47都道府県周りたい。もちろん海外も。そこで感じたものとか、忘れたくないものを服にするんです。10月には中国と大阪、11月にはアメリカに行こうと思っているので、実現できればなと思います。もう1つは、凄い先の話になんですけど、『BEBI』のアトリエ兼ショップを持ちたい。一緒に『BEBI』の服を作ってくれる仲間5.6人と毎日話しながら、横のショップに来たお客さんともおしゃべりして、全ての服を完全にそのアトリエから生み出すんです。人が集まる場所にして、仲間やお客さん、そこでの会話や出来事を大切にしたい。それが服になったら良いなと。

 

時には何も考えずに手を動かし、時には着てもらう人のことを考えながら。いくつもの偶然が重なり、まるで必然かのように彼女の服は生まれていく。自分を理解し、やりたい方向が見えてきた今、新たにどんな作品を生み出してくれるのであろうか。彼女の服作りは、まだ始まったばかり。

 

 

BEBI(べび)

1995年生まれ、横浜出身。自分たちで何でも作る環境で生まれ育ち、幼い頃よりモノづくりが好きになる。2017年に文化服装学院服装科を卒業し、中国人デザイナーの友人・ニールと共に『bebi&niru』をスタート。現在は、1点ものの服作りを行うと同時に、3つのブランドのデザイナー、イラストレイターとしても活躍中。

Instagram@bebi.jp

HP:iambebi.jp

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