イタリアVOGUE(ヴォーグ)編集長のFranca Sozzani(フランカ・ソッツアーニ)が去年12月に死去して以来、その後任として元GQ編集長であったEmanuele Farneti(エマニュエレ・ファルネティ)氏が決まった。

彼の描く新生VOGUEとは……。

イタリアVOGUE前編集長の突然の死

イタリアVOGUE(ヴォーグ)編集長のFranca Sozzani(フランカ・ソッツアーニ)氏が66歳で去年12月に亡くなって以来、年明けEmanuele Farneti(エマニュエレ・ファルネティ)氏の編集友だちは彼に「後任が誰がなっても、誰も彼女にはかなわない」と呟いていた。

ファルネティ氏はその時、自分が後任に就任することになったことを友人にまだ言えなかったという。

「私も自分がなるとは思わなかったんだ」

その後7ケ月、1000人規模の産業ホールでファルネティ氏就任を祝うパーティーが執り行われ、演出を担当した元ジバンシーのデザイナーRiccardo Tisci(リカルド・ティッシ)氏は「新しい始まり」と表現した。

近年、有名ファッション雑誌の編集者の代替わりが起きている。

ELLE(エル)、GLAMOUR(グラマー)VOGUEイギリス版は今年トップが交代した。

ファルネティ氏の就任も新しい流れと言える。

しかし彼の起用は前任者の退任などではなく死亡したことによるのだから、彼への風当たりは非常に強い。

「私はフランカではない」とファルネティ氏は言う。

新生VOGUE編集長の素顔

ブラウン色の髪の毛や角ばった顎、好んで裸足でレザーのローファーをはく彼は、ハリウッドにいるイタリア人のような雰囲気がある。

6歳と8歳の子どもたちとデジタルマーケティング産業で働く妻がいて、ミラノ近郊のアパートメントの他にアルプスとPortofino(ポルトフィーノ)近くのイタリア海岸にあるバカンス用の家を持つ。

彼は軽く見くびられることを気にしない。

「編集にはいろいろな道がある。フランカ・ソッツアーニ氏 がやったようなやり方で雑誌を作ることは非常に素晴らしい。しかし、それだけが方法ではない」

ファルネティ氏は雑誌を新しく創りあげていくことに大変長けている。

彼を知るNewhouse(ニューハウス)氏は、は雑誌を創造する人だ。出版物をただ編集するのではなく、ゼロから新しく産みだせるのだ」と語る。

ファルネティ氏は、ミラノ大学で法律を学び、テレビ業界でキャリアを積んだ後すぐ、Condé Nast(コンデナスト・イタリア)社でイタリア版GQ(ジーキュウ)の創設メンバーになった。

GQではスポーツの報道、中でもサッカーを担当していた。

その後一度退社し、ファッション誌FLAIR(フレア)の編集長などを経て、2014年にコンデナスト社に再度引き抜かれてインテリア誌AD(エイディ)の創設にたずさわった後、2015年からGQの編集長を務めていた。

彼の長年のキャリアの中でVOGUEは、彼が担当する3冊目の雑誌となる。

「元々ファッション誌専門でなかったからこそ、それを最大限活かして取り組みたい」と彼は言う。

しかし、ファルネティ氏はファッション業界の人脈も豊富であり、Valentino(ヴァレンティノ)のPierpaolo Piccioli(ピエールパオロ・ピッチョーリ)、DOLCE&GABBANA(ドルチエ&ガッバーナ)のDomenico Dolce(ドメニコ・ドルチエ)とStefano Gabbana(ステファノ・ガッバーナ)とも親しい。

TOD’Sの経営者のDiego Della Valle(ディエゴ・デッラ・ヴァッレ)とは、彼が1995年にサンディエゴでインターンをして以来の仲である。

https://www.businessoffashion.com/community/people/emanuele-farneti

苦戦するファッション雑誌

しかし、ファッション雑誌自体の市場が急速に勢いが弱まっている現在、新生ヴォーグを創り出すことは非常に難しい。

この夏、コンデナスト社は今年の終わりまでにL’Uomo Vogue(ルオモ・ヴォーグ、男性向け)、 Vogue Bambini (ヴォーグ・バンビーニ、子ども向け)、 Vogue Sposa(ヴォーグ・スポーザ、ブライダル向け)、Vogue Gioiello(ヴォーグ・ジョイエロ、ジュエリー専門)などの雑誌の終了をやめることを発表した。

デジタル化が進む中で生き残るため、この決断は避けては通れないものだった。

しかし、ファルネティ氏は「私は出版産業を信じている。前からあるものをむやみに全てなくす必要なんかない。それは非常に傲慢なことだ」と言う。

実際に彼は雑誌ページを増やす決断を早い時期にしている。

新生VOGUE7月号の表紙は、これまでの流れを承継するものであり、Steven Meisel(スティーブン・マイゼル)というフランカ氏が懇意にしていた写真家(彼は2014年まで全ての表紙写真を担当した)を起用し、ビンテージな雰囲気をかもしだし話題となった。

イタリア版VOGUEを作り上げた前編集長

フランカ氏が1988年にVOGUEイタリア版を引き受けたとき、雑誌の知名度は非常に低かった。

彼女はVOGUEイタリア版をイタリア人でない人々に伝え関心を持ってもらうには、写真を通じて大々的に伝えて行くべきだと考えたのである。

そして表紙には、家庭内暴力や整形、BP石油漏れなどの問題とつながりのある写真を起用していった。

結果、世界各国のVOGUEの中でVOGUEイタリア版が一番ビジュアル的にインパクトがあると大評判になった。

10万部という発行部数は、120万部発行を誇るアメリカ版VOGUEと比較すると少ないものだったが、VOGUEイタリア版は非常に大きな影響力を持ちはじめたのである。

それは、ファッション以外の雑誌を普段買っていた人々がVOGUEイタリア版を買うようになったのである。

新編集長の野望

ファルネティ氏は、前編集長フランカしの功績がなんだったのかを理解した上で彼の戦略を練っていた。

彼の目的は、今後、雑誌を活用して、世界中にイタリアの才能を紹介するプラットフォームとして機能させることである。

「私はもっとこの雑誌にイタリアの魂を込めたい。イタリア人の生活と美への態度を示していきたい。イタリアでは若い才能が世界的に知られるのは非常に難しい」

VOGUE9月号では「これがイタリアの全てだ」と銘打っている。

今後の新生VOGUEイタリア版に大きな期待が寄せられている。

(C)Dmitry Kostyukov for The New York Times
https://www.nytimes.com/2017/09/19/fashion/emanuele-farneti-italian-vogue-milan-fashion-week.html

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