イギリスのファッションデザイナーであるVivienne Westwood(ヴィヴィアン・ウエストウッド)は昨年行われた2017年春夏コレクションで自身の政治的思想を組み込んだランウェイショーを行った。

そこではWikiLeaks(ウィキリークス)の創始者であるJulian Assange(ジュリアン・アサンジ)氏の解放を求める短い動画も放送された。

アサンジ氏は現在ロンドンにあるエクアドル大使館に政治亡命中で、最近AnOther Magazine(アナザー・マガジン)に自身とヴィヴィアン・ウエストウッドとの関係について話った。

アサンジ氏はヴィヴィアンの首尾一貫した性格や知性の深さ、そして「画期的な現状に対する揶揄」に心を打たれたという。

アサンジ氏はまたデモとしてのファッションの重要性やヴィヴィアンの政治的主張とアサンジ氏の支持を体現するランウェイショーに対しての驚きも語っていた。

(以下、アサンジ氏とアナザー・マガジンのインタビューの抜粋)

ーよくご一緒に活動されていたヴィヴィアン・ウエストウッド氏はよく面会に来られると思いますが、面会はどのようなものですか?

ヴィヴィアンは2・3週間ごとに面会に来ます。彼女は明るくタフですね。イギリスで最もタフな女性の一人だと思います。長年の間、彼女の首尾一貫した性格を見て、尊敬の気持ちが増しました。また、関係が続くにつれて彼女の知識の深さも見えるようになりました。

ーあなたにとってそうした交流は影響力のあるものでしたか?

タフな人が身の回りにいるのはいいことですね。私の下らない発言に反撃し、叱責してくれる人が必要です。そのような人がいるのはとても大切なことだと思います。さらに、私の現状に対する彼女のサポートはとても重要です。彼女が持っている人脈、彼女を尊敬している人々は私の周りにいる人々とは違います。おおまかに言うと、ヴィヴィアンはウィキリークスがリリースするものに興味がある人とは違う集団に属する人です。通常サポートが得られる集団とは違う集団とつながることができるのはとても重要だと思います。

ーヴィヴィアンはあなたへの擁護とあなたの主張を自身のファッションショーに組み合わせました。彼女の2017年春夏コレクションはあなたのためのものだったとも言えます。

彼女はとても謙虚で、彼女はファッションが政治や道徳的な主張を持つものとして語ろうとしません。しかしそれは真実ではないと思います。彼女の書いた文章をよく読んだり、彼女の話をよく聞いたり、パンク時代を振り返ったりすると、今ではヴィヴィアンは自分が生み出すファッションは、それを身につける人を大胆にするべきだと考えていることがわかります。

他のデザイナーにとっては意味のないマーケティングのための発言かもしれませんが、ヴィヴィアン・ウエストウッドにとっては違います。それはこれまでの彼女の生き方、そして彼女が選んだこれからの生き方のおかげです。私は彼女が自分の仕事に価値を見出せるよう、彼女の仕事は我々が生きて行く社会の中でギャップを埋めること、人々を教育したり、大胆にしたりすることのできるもので、とても重要な機能だと語って励ましました。

ーヴィヴィアンの発信するメッセージを重要だと思っているということですね。ヴィヴィアンの媒体の使い方はユニークだと思いますか?

とてもユニークだと思います。これまで多くの人に会いましたし、さまざまなタイプのサポーターがいますが、ヴィヴィアンが自分のしていることでここまで成功しているというのは非常にユニークだと思いますね。彼女は自分の仕事をコントロールしていて、他人のために仕事をしません。自分の人生を好きなようにできるのです。彼女は共感を得たり自分の露出を増やしたりするために私をサポートしているのではないのです。自分の信念が正しいというビジョンがあるからこそ、そうすることを選んでいるのでしょう。

ーヴィヴィアンがあなたに捧げたショーをどう思いましたか?あのようなショーになると思っていましたか?それともすでにご存知だったのですか?

いいえ、知りませんでした。驚いたし興奮しましたが、ファッション業界には属していないので、良かったということ以外、コレクション自体にはコメントできませんね。彼女は私や、チェルシー・マニングなどの主張に対してこういうことを何回もしています。私が一番気に入っているのは、外務省の建物の、公式のパフォーマンスが行われる室内広場を貸し切って開催した(私の解放を主張した)ランウェイですね。イギリス政府との私の抗争は実質的に外務省との間で起きているものですから。ヴィヴィアンは外務省内でモデルにジュリアン・アサンジTシャツを着せたのです。彼女も私のTシャツを着ていたかもしれません。現状に対する画期的な揶揄であり、非常に的を射たものだったと思います。

ーデモを起こすためにファッションを直接的に使用する事例だったと思いますが、そうしたアプローチは重要だと思いますか?

間接的なアプローチも好きですが、その場合は間接的なアプローチに、糸口となる強壮剤のようなものをつけることが必要です。そうでないと何を意味しようとしているのか理解してもらえませんから。芸術的な理由だけで間接的な要素が好まれる場合は、作品に二重の意味が生まれるでしょう。しかしそうした場合は、自分が間接的に動かなければ、人々がそれにどのような意味があるのかを理解することはほとんどないのです。